ウィーンの森 マイヤーリンク

ウィーンは東北部をドナウ川に接しているが、残りの三方はうっそうたる森林地帯に囲まれている。これがいわゆるウィーンの森で、その面積は市の三倍はある。ウィーンの森は大きく北部と南西部に分けることが出来る。北部は標高483mのカーレンベルグを中心に展望台があり、南西部には温泉で有名なバーデン、高級別荘地として知られるメートリンク、ルドルフ皇太子(ハプスブル家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃エリザベートの息子)が謎の死を遂げたマイヤーリンクなどがある。

現在のように豪華なロココ調の姿になったのは 女帝マリア・テレジアの時代になってから。マリア・テレジアの末娘 マリー・アントワネットは、15歳で嫁ぐまで、夏の宮殿としてこの宮殿を利用した。1400の部屋のうち一般公開されている部屋は39室。6歳のモーツァルトがマリア・テレジアの前で演奏し、マリーアントワネットに求婚した「鏡の間」、1814〜1815年のウィーン会議のとき舞踏会の場となった「大広間」、マリア・テレジアが宰相との間で秘密会談をおこなった「中国の小部屋」などがある。広大なフランス庭園や絢爛豪華な室内装飾などハプスブルグ家の権力の象徴。マリア・テレジアン・イエローが印象的。また ハプスブル家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの皇妃エリザベートも有名だ。
ベルベデーレ宮殿と庭園

ウィーン旧市街を見守るようにどっしりと構える広大なこの宮殿はトルコ軍を破った英雄オイゲン公(フランス貴族出身でハプスブルグ家の総司令官)が18世紀初頭に建造した夏の離宮。
見事なシンメトリーの美観を見せるこの宮殿は上宮と下宮からなり、間に色鮮やかな花が咲き誇る美しい庭園が広がる。
上宮は現在19・20世紀オーストリア絵画館になっている。
下宮の中世・バロック博物館ではバロック美術が開花したウィーンならではのコレクションが見られる。
ミラベル庭園のバラ園
「ドレミの歌」が歌われたミラベル庭園
18世紀初めに、フイッシャー・フォン・エルラッハによって設計された庭園で、門を入ると正面に17世紀初頭にボルフ・ディートリッヒによって着工されたミラベル宮殿がある。18世紀にヒルデブラントによって改築されたが、1818年に火災によって焼失、今はこじんまりした宮殿がたっている。広い芝生と花壇と噴水、あちこちに配された彫像、・・・この庭園から眺めるホーエンザルツブルク城の風景は美しい。
9日目

ザルツカンマングート

オーストリアでも指折りの景勝地。2000m級の山々に抱かれ、宝石のように美しくきらめく湖が点在している湖水地方。中でも ハルシュット湖は特に素晴らしい景観が眺め、世界遺産にも指定されている。
ザルツカンマングート地方の中にあるヴォルフガング湖
ザンクトギルゲン、ヴォルフガング湖の湖畔の町に立ち寄る。モーツァルトの母の生家があり、モーツァルトの姉ナンネルが嫁いだ先として有名だ。。湖のほうへ歩いていくと、モーツァルトの母の生家である小さな家がある。
10日目

ウィーン

  緑の森に囲まれたオーストリアの首都にはドナウ川が流れ、ハプスブルグ家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフが建設した環状道路(リンク)では街路樹が美しい。ウィーンの文化の源をたどれば、すべてはハプスブルグ家の生み出した宮廷文化へと行き着く、と言っても過言ではない。
シェーンブルグ宮殿と庭園
 13世紀からおよそ650年にわたりオーストリアを支配したハプスブルグ家の夏の離宮だったところで、レオポルド1世の命によりおよそ30年の歳月をかけ、1713年に完成。
7日目

サンモリッツから オーストリアのインスブルックへ向かう途中クリスタルの置物や
ビーズで有名なスワロフスキー・クリスタルヴェルテンへ立ち寄る。クリスタルの目を口が噴水になっている顔の形の出入り口(写真1)から中へ入ると クリスタルで出来た置物やアクセサリーが 一面に飾ってあった。

スワロフスキー
ダニエル・スワロフスキーは1895年、チロル地方のワッテンスに移り住み、この地で、のちに国際的評価を得ることになるオーストリアの家族経営企業、スワロフスキーの基礎を築いた。1995年会社創立記念の一環として、このクリスタルワールドをオープンした。クルリタルワールドの入り口には 水を吹き出すアルペン巨人がそびえたち、その口から吹き出される水が、巨人の足元にある小さな湖に流れ込む。この巨人は敷地内の中心部に位置し この巨人の背中の部分は 丘の頂上になっており すばらしい景色が一望できる。巨人の頭の中をくぐり抜けて入ってゆくと7つの「不思議な部屋」に分かれており それぞれの部屋でクリスタルによる魔法の変化が演出さてれいる。
インスブルック

アルプスの王国チロルの州都。約800年にわたってハプスブルグ帝国が栄えたオーストリア〜その栄光を陰ながら支えた 皇帝マクシミリアン1世を始め、女帝マリア・テレジアなど多くの名高い歴史的人物にこよなく愛された場所。山に囲まれた都会。イタリアとの交易の要働として古くから栄え、2回の冬季オリンピックの開催地として有名。インスブルックでは、この町の名前の由来となった1180年に造られた“イン川に架かる橋”を始め、ホーフブルク王宮、大聖堂、黄金の小屋根、宮廷教会、そして中世時代の街並みが残されている。写真2は 町並の風景。

ザルツブルグへ
8日目

ザルツブルグ

世界遺産の街。「北のローマ」とも称される。モーツァルトの生家があり 音楽の街としても有名だ。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台「ミラベル庭園」がある。ザルツブルグは塩の城という意味があり その名の通り塩の売買で栄えた街。
ザルツアッハ川を挟み旧市街地を眺める。小高い丘の上にそびえるのはホーエンザルツブルグ城。
一番の繁華街ゲトライデ・ガッセを、鉄細工の看板が中世の雰囲気を残すメインストリート。
2000年5月

オーストリア
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